前頭芋

詩人・来空(らいくう)による、リトル・ポエムの世界

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詩の教室 五月レポート

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日本詩歌の世界をあらためて考えよう。
「世界で一番短い詩がある日本の不思議 三回シリーズ
?日本詩歌の文体 6月11日(水)18:30?20:30
場所:小金井市前原暫定集会施設
講師:来空
参加費:無料

ご参加お待ちしています!

お申し込みはこちらから!↓
(「詩の教室」のところまでスクロールしてください。)
http://www.koganei-cs.org/culture.html
当日飛び入り参加も大歓迎。

地図
http://www.koganei-cs.org/map.html

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五月の作品 来空評

・オシッコオトココダマダ  (来空)

 おしっことこだまで男を挟み込む。4・3・4のリズム。

・フカ、ホコ。サメカレイ  (来空)

 鱶、鉾、鰈。
 フカは「不可」でもあり、サメカレイは「華麗に冷めた」でもある。


・たここだこ「ここだここだ」<回文>  (来空)

・マンモスと陸(おか)にあふれた海  (来空)

 海がおかにもあふれたら海全体になっちゃう。
 従来の美意識も踏まえた句。


・ミドリキイロオレンジおいしいいろどり  (あずみ)

 色どりはもうすでに出ているから、なくてもOK。
 本人が好きであれば好きなように。


・タッタッ ハァハァ わたしははしる  (あずみ)

 3・3・7拍子。
 ボクなんかは「勃つ勃つ、はあはあ」と読んじゃって、男たったんか!
 はあはあゆっとるんかな、そうかそうか!という気持ちになる。


・ムカヒゲブランク  (またこ)

 私のことを詠ってる。

◎・くるしっぽりさらしっぽり  (またこ)

 面白いな?これな。
 「しっぽりさらし」「くるしっぽ」「ぽりさらし」。どうとでも読める。


・しくはっくししじゅうはちあわせ  (みみ)

 いい句。こわい句。四苦八苦。言葉の面白さがあって、生きている様が出ている。
 しくは「っ」く・・・のようにつまると、濁音などが強調される関係がある。
 しくはっく「し」・・・でキレる(止まる)時、「死」が強く表れる。


・トンデルゴハンヒロッタダケ  (みみ)

 一つの人生観。生活が出てくる。
 豚が飛んだって何が飛んだっていいわけで。
 映像に浮かべても面白い詩。


・バシャミチバアシャン!ビッショヌレ!!!  (マオラムド)

 道自体がバシャーン。道自体がダイナミックにあらわれて面白い。
 「シャン」はなくても十分効果がある。


・コイニオチタラバヨッシーヒジュル  (マオラムド)

 「ッ」「ュ」ときたらひらがなも効果ある。
 現代と縄文時代の違いと言ったら、縄文時代は濁音が多かったのではないか。
 濁音は刺激的に言葉が働く、日本人の原始的な力。
 ボク自身は、もの凄く効果があると思ってる。


・フルフルアマモリカッテニモレシャン  (マオラムド)

 これ面白いね?。
 「勝手に漏れろよ」という心境。実生活。


・とりとめもなくだめまおさん  (マオラムド)

 まおさん・・・自分の名前。自分自身。

・さあ はじまる なみだのいってき  (マオラムド)

 この男、いい年して初々しいんだ!

・ふらつくとっつくさらにつくみっつ  (波丸鴨)

 これも面白いな?。
 さらは「皿」になったり「更」にもなりますね。
 「っ」が少し弱めている。なくてもいいかもわからんな。


・ガジガジダンジキヒガンデテル  (波丸鴨)

 ひがんで照ってる。屈折がある。
 中国とチベットの関係も出てくる。
 そういうかんじがあって、社会的風景が表れてる。


・クルまいサルまねトリしめて  (波丸鴨)

 トリであって人であり、サルであって人であるという関係。
 面白いですよね。


・くるうりじんたおふしてしえ  (苑芭篠木)

 一番難しいと思ったのはこの人の詩。
 この人の句には、彼にしかわからない内部がある。
 意味はわからんけど僕自身にはわかる。


◎・うぜえねこたれ しろまるおる  (苑芭篠木)

・バスマボロシアワムートン  (苑芭篠木)

・でそう でるで うそで<回文>  (阿蕪無)

 うんこが出そうなのかな?でるで、「で」で止めてる。
 「うそで」には一つの見方、人間の構造的なものが出ている。
 回文としてすごい。


◎・またこりしりこだま  (阿蕪無)

 また こり しり 2・2・2と来て「だ」で「そうだ!」となるリズム。
 また凝った。スケベだからまた凝っちゃった。
 尻がこだましている


・ほうぼう はなアーチ  (阿蕪無)

 ほうぼうに花のアーチがある。悪い句じゃない。

・ドレスゴゾウロップたつまきしょうじょ  (桂久爾)

 五臓六腑が竜巻してる。
 女と生活→「少女」と来る。もう少し強く。


・チョウさくらふぶきのはらわたドレス  (桂久爾)

 はらわたを引きずるところがある。はらわたが吹いているような。
 内部の問題。「の」はなくても。


 二句を合わせて「さくらふぶきのたつまきしょうじょ」でも面白い(byマオラムド)

総評

今日はもう何回笑った?面白かったな?
わかってしまうもの、見えてしまうものじゃなくて、不可解なもの、ぞーっとするようなものがいい。
今まで言ってる人たちが全部ほんとだと思わないこと。そこからは新鮮なものは生まれない。
◎をつけたのは、これからの時代の句。やってる人自身もいろんなものが見えてくる。
現実とは何か?言葉とは何か?


「日本語のリズム」by来空 レジュメより

宇宙は、「日本語は八百万の神います」どおりチミモウリョウを含んでいました。だから、コトバにもチミモウリョウが存在するのでした。
コトバの明示化(道具化)を主力におく従来の人間の考え方は大いなる錯覚です。
日本語は、言語学で言う膠着言語、等時拍音形式から見直さなくてはなりません。日本の詩歌史で日本語のリズムがどう変わったかも。
詩のリズム(等時拍)音は、シンゾーの脈拍音の、限りなく続くことを願う音拍音が基本ですから、まず、多意味といっていい日本語の一音を、意味でなく一音として捉えることが大切。

シンゾーの脈拍音と同じように、その巾は1・1・1・1・1・・・でしょう。そこで自然に、二音につながるのですから、2・2・2・2・・・になります。
ここで、碧梧桐(大正五年)に、「萩咲く原水踏むまで行く(はぎさくはらみずふむまでゆく)」という、
1・1・1・1・1・1・1・1=2・2・2・2=4・4のニ音律があったことに注目を―。
碧梧桐は、大正時代に自由律になりましたが、それは等時拍に意識的に深くかかわった事実を示したのです。

ニ音律は当然、三音律にかわって、3・3・3・3・・・となります。これ通称、三拍子といわれましたが、リズムとしては四拍子(沈黙を含んで)でしょう。
詩歌史「古事記」「万葉集」は、俗世間がもつ三三七拍子や手締めの手拍子をもたらした事実を語ります。「古事記」の、

 あなにやし えをとめを
 あなにやし えをとこを  (成婚時の唱和)

 あめつつ ちどりましとと、などさけるとめ
 をとめに ただにあわむと、わがさめるとめ  (コダマ返し、神との問答)

このモノローグからダイアローグ(一人称発想から問答的発想)になる必然を見なければなりません。これら軌跡は、「万葉集」にも見られます。

・長歌(五七調を重ねる自己主張)
・半歌(神が答える、神の主張)

という唱和の形。旋頭歌も唱和の形。

 梯立ての倉橋山に立てる白雲
 見まく欲りわがするなべに立てる白雲
 (傍線は、繰り返されて片方を消去するはたらき)

ここに、五七五七七(和歌のリズム)となる関係があったのです。

 八雲立つ出雲八重垣(3・3・7)
 妻ごみに
 八重垣作るその八重垣を(2・2)

手拍子も感じますが、同時に、コトバが重層的にあることを認めねばなりません。そしてそのリズム根幹には、

 こもよ     3
 みこもち    4
 ふぐしもよ   5
 みぶくしもち  6

コトバの増加が一つの美的リズムと働いていた事実。コトバのテンポ、加速が快感であったのですが、これとは逆に、コトバの減速も一つの表現としてあったでしょう。
この歌(「万葉集」の巻頭)の後半は、

 この岡に 菜つます子(5・5)
 家のらへ 名のらさぬ(5・5)

と続くのですが、それは日本語、その五十音がすべて平等にあるのであって、同音数でつながることを日常(平易)にする。つまり、八百万の神=自然世界容認も語っているのです。
詩の史跡は、リズム軌跡として如実だったのです。(私は「日本詩歌のリズム」で詳述)

歴史がリズムの必然的な働きをとどめたのなら、「万葉集」も、一種の時代拡散を示すものでした。
長歌は、のべつない一人称発想だから、そこに反歌(神)を求める問答が必要になった。片歌二つ組合った旋頭歌が、和歌になったのも同じ理由でしょう。

江戸時代は、西鶴の小説が認められた散文世界といえますが、その時代迎合が、かえってリズムにも強く働いて、芭蕉に韻文化を促したという必然。
その働きが蕉風(五七五)なのです。
また碧梧桐にも、一般的で庶民的な散文をとりこみながら、ついにルビ短詩に至った韻文化の試行があったのです。
詩の問題点は、リズムを説くことで白明化するのです。

日本語=Aの含意化B もしくは Aの明示化B2
韻律化=B1韻律化(時代と共に刺激的に働くもの) もしくは B2韻律化(形式として詠まれはじめる)
散文化=時代と共に一層散文化を強める

というのが私のリズム論です。
リズムの問題は、子供たちの作品の方が、素直に単純におもしろく説けるようです。

 ・かささして●あめから●かくれてんの
 ・まわらぬ●とけい●はーとのとけい
 ・こにしき●ひとりで●パンクした
 ・ない●ほんとに●なにもないんだ
 ・父の●コピィで●うすっぺら
 ・ああせいこうせいせんせいおっとせい(4・4・8=3・3・7)
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