前頭芋

詩人・来空(らいくう)による、リトル・ポエムの世界

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すやすやと寝入り給ひし火鉢かな

子規子(追憶)

M40

碧梧桐は、初心時代「エライ正岡信仰ぢゃノー」と父親に言われたが、真正面から子規を批判する大胆さがあった。むしろ全的な自己を暴露してぶつかる対象を持ち得たともいえよう。

子規庵の蕪村忌(明治三十五年)に写真を撮る時、人が沢山で庭に筵を敷いて二重三重に並んだ。子規居士の座席だけをあけて鳴雪翁を中心に座ったり、中腰になったり立ったりする。いよいよよしとなって、子規居士を碧梧桐が背負って来る。なかなか仕事だ。身体のいづくに触れても痛むのである。子規居士は、顔をしかめて痛さを耐えられるのである。ようやく中央の座に下ろして、脇息に凭れて横ぢりに座らせた。この間、一同は声を呑んで、眉をよせて心配の気配にうち眺めるのであった。この子規居士を、おんぶして椎の木の下に並んだ三十幾人の中央正面に座らせるのは碧梧桐でなければ出来ぬ大役であった。(青木月斗『碧梧桐の思い出』)

この作品など、読後、ただ頭を垂れるだけであった。
すべてを賭けることができた碧梧桐の正直さ、素直さは、詩にかかわるやさしさをも語るのではなかったか。

☆来空トークショーに関しては、9月7日をご覧ください!
(カテゴリー「お知らせ」)

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すやすやとの句

碧のやさしさがあふれる句ですね。子規への信頼と慈しみ、苦痛にさいなまれる子規を見るに見かねたに違いない日々。そしてその苦痛から解放された子規を見つめる碧の安堵と畏敬、追想。なんともいえない温かさに包まれました。

来空の碧句評を通じ、碧の才能に感嘆すると共に俳句・短詩の奥深さをしらされる思いです。

桂久爾 | URL | 2006年10月16日(Mon)22:27 [EDIT]


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