前頭芋

詩人・来空(らいくう)による、リトル・ポエムの世界

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初雷のごろごろと二度鳴りしかな

M34

年初めに落ちた雷がごろごろ二度鳴ってるぜ。
というのは、散文的にもそのままとなるといえよう。
実はこのような表現も、あたらしい時代をむかえた時、その散文を書いたことが新鮮さを抱き込む手法でもあった経緯。
虚子が「現今の俳句界」(M36)の碧梧桐批判で、以降も有効に働いたものは、

「おとなしく、底光りのする句が乏しい。単純なる事棒の如き句、重々しき事石の如き句、無意味なる事水の如き句、ボーとした句、ヌーッとした句、ふぬけた句、まぬけた句を渇望する。」

とした指摘だ。虚子にそうした試みがあったわけではない。
詩的に現実的で、常に創造的であろうとした碧梧桐が実践の中で体験せざるをえないものであったのだ。
時代の新しい「俗」をむかえる必然が碧梧桐には生じていたのである。
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