前頭芋

詩人・来空(らいくう)による、リトル・ポエムの世界

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

死なさじな海鼠が生きてゐるやうに

M36


妻が、母の病篤き報であたふたと出立した時の碧梧桐の作品。散文的に書くなら

死なせたくないよ(死なさないよ)。ナマコが生きているように。

になるように、あるがままある述懐だろう。
この述懐を説明することはたいへんむつかしい。
「ナマコが生きているように」には、ナマコの死んでいるか生きているかわからない状況を表現しているといえるが、どちらでも生きている、あるいは、どのような死でも、生きているものと認めるような、精神状況の混沌が意味されているかも知れない。

短詩としてこの句が書けたことに、碧梧桐の生き方も告白されている。事実、生死を問わないような生き方が碧梧桐にはあった。

スポンサーサイト

PageTop

森の奥に谺(こだま)する鳴きうつる鳥

T13

和歌とか、俳諧とか、発句とか、俳句とか言いならして来た、日本短詩の、それぞれが誇った詩的効果は、ここに見事に納まっている。と、いっていいのではないか。

写生とか季題は、我れ自らを仮託するためであって決して環境を写すことが目的ではない。詩としての実質を具備せしめるため、環境の実態を借りたものと見なければならない。(碧梧桐)

―のだから。現在は、碧梧桐が「二十年間の迷妄」(大正十四年)で語ったとおり、

生活を意義づける思想感情は一所に停滞しておらぬ。詩風の変遷は、今日以後の努力の自然に放任すべきである。

が至当。

PageTop

里の犬上りて吠ゆる茶山かな

M39

碧梧桐が悩みを持ち始めたのは、

明治三十八、九年頃で、余り多きに過ぐる類句―ほぼ同じ程度の心境に立って、ほぼ同じ程度の文字の技巧に囚われたもの。(「二十年間の迷妄」)

にある。当時の作品は、

同一感激、同一興味、同一刺激の中をぐるぐるめぐりをして、永久の生命の生まれよう道理はない。(同)

ことにも気付いていたといえる。

自己表現の芸術の要諦に立って、我が個性を純化する要求に兆していた。一言にして言えば真を求める心。(同)

これは時代の俗(自由律)にかえる直前の作。碧梧桐が書いた詩には、従前的な美も、またしっかり把握されていたといえよう。里の犬という着想がよい。上って吠えているところが茶山なのもいい。日本の自然美が大きく、あたたかく認識されていたのである。

PageTop

猫図

20070515095254.jpg


河東碧梧桐筆

PageTop

全集にせねばならぬせねばならぬ鶏頭が伸び

T6

碧梧桐全集を企劃する意欲があったのである。
甚だ特異の長律であるが、俳句表現としての「つぼ」はちゃんと備わっておる。(井出逸郎)

PageTop

砲車過ぐる巷の塵や日の盛り

M36

すでに兵の遺骨が増える状況も、盛りとなったとしなければならないだろう。
巷は喧々轟々。人々は政治に煽られ軍国主義を自ら招き寄せていた。
碧梧桐は記者の目で客観的な考察を試み、アメリカの横暴を摘発する記事も見られている。

PageTop

聯隊(れんたい)に祭る遺骨や日の盛り

M36

すでに兵の遺骨が増える状況も、盛りとなったとしなければならないだろう。
巷は喧々轟々。人々は政治に煽られ軍国主義を自ら招き寄せていた。
碧梧桐は記者の目で客観的な考察を試み、アメリカの横暴を摘発する記事も見られている。

PageTop

寺大破炭割る音も聞えけり

M39

「大破」という漠語が「寺」にふさわしく、貧乏寺の気配をよく出している。「炭を割る音」も、大きくなくとも手荒なはげしい音、そのような荒れた寺に泊まった詠嘆が「聞えけり」にこめられている。(阿部喜三男)

「寺大破」と大上段に振りかざしておいて、「炭割る音」を聞かせ生活に近づけ、「も」で他の物音も思わせ、「聞えけり」と結んで、「寺大破」を具体的にする。その辺の呼吸を味わうべきで、一句の格調よく張っており相応じて、古くなりそうな材料をこれだけの句に仕立てたのは作者の心が張っているからだ。(中島斌雄)

古くさい句のように思われるが、どうしてなかなかの手だれで、素朴雄強、するどくきびしい。(滝井孝作)

「寺大破」が、新しい時代にとっても刺激的だった筈。この意外性が時代の表現となる関係こそ、忘れてならない手法。

PageTop

強力の清水濁して去りにけり

M31

「去りにけり」の五字にて清水を離れ、且つ自己を離れたり。即ち清水を掬うという動作の外に、更に去るという動作を加へ、清水と人とを配合したる光景の次に、人無き清水の光景をも時間的に連結し、以て之を複雑にし、以て陳套に陥らざるを得たり。(正岡子規)

強力(ごうりき)・・・荷運びする雇人。が、汲んだ清水を濁して立ち去ったという出来事を一つのロンリとして組み上げている。
碧梧桐は「未開の地を開き行く」「古人の作例に拘泥するに及ばぬ」と提唱した人だ。句作上で重複を禁止された動詞(近寄る=離れる・清くする=濁す・来る=去る)などのやってはならないタブーに、常に挑戦していたのだ。

PageTop

釜持の左千夫が会や炉の名残

M36

子規は短詩にも精力的にかかわったといってよいが、歌は色青ざめ呼吸絶えんとする病人の如くに有之候。(「七たび歌よみに与ふる書」)

と書いている。
歌人は自分が病んでいることを知らない病人。詩の価値を知らない人達。
吉本隆明も、

五七五七七それ自体が意味であり価値である。

と書いていたように、歌人は短詩という形式を信仰する集団。
どのように信じようと、それはそれでよいのだが、中毒患者の作品は、詩の本質にかかわりをもたないものだ。

子規を中心に集った歌人の中で、碧梧桐が交遊したのは左千夫だけだったようだ。紀行文や作品の中でとりあげたのは左千夫一人。
山中に炭竃も持っていた左千夫の会、その短詩会をも炉の名残と表現している。左千夫の素朴さを愛したが、詩の同行者ではなかったのだった。

PageTop

日盛の漢(おとこ)の大道通りけり

M38

碧梧桐のこの頃の作品には、過去、現在、未来にかかわるコトバがいきいき脈打っていた。
「漢」は「男」の意味。自由律になってからは「男」に統一されている。「や」「かな」「けり」も、自由律になってからは殆ど使用されてない。という変化を見ながらも、落としてならないのは

日盛大道通りけり

接続詞「の」の問題。日本語の「の」を用いて切りなくつなぐことができる性質は、切れ字をもたらした反対概念であったのだ。
この作品、散文的に

日盛 男の大道 通った

としてみるなら、「の」の連続使用にリズム変化の賛否をみることが出来るだろう。

PageTop

見つむれハ毒ふきかけん蟇(ひきがえる)

靉光「目のある風景」


M27

「見つむる」は「見詰める」の文語、口語なら「見つむれバ」でもいい。

蟇はのそりのそり歩くことはあっても、普通は微動だにしないから、その形相かもしれない。
いや、やはり目だ。
私の少年期の記憶では、ひきかえるの目は魑魅魍魎、人間に臆しもしない。五分間は見合っていたが、毒吹きかける目で私の方が目を反らしてしまったのだった。
私に自然の深さ、コワサを伝える目だったのが、以降も、蟇とは逢っても見合っていない。
私が逃げ出したコワイ思い出。

この句を読むと靉光の描いた「目玉」を思い出す。
私にとって、「毒ふきかけん」はスゴイ表現だ。

PageTop

烏帽子屋へ殿の使や春の宵

M32

蕪村の影響をつよく受けた作品だろう。

蕪女倶して内裏拝まんおぼろ月
鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな 蕪村

烏帽子は昔、貴人が平服時かぶった。階級によって形が変わり、無官者は儀式の時にかぶったもの。使いは美少年か、奇妙に艶っぽいイメージも興るようである。
碧梧桐にこうした着想もあったが、中村草田男はこの句を、

碧梧桐はローマン主義の素質をもちながら、以後、ローマン精神の根本義を自覚せずに失敗。

とした。
しかし、あらかじめある主義とか美意識は必要ないはず。時代が個々に、あたらしい時代のあたらしい艶も呉れる筈だから―。

PageTop

夜に入りて蕃椒(とうがらし)煮る台所

M30

此の理屈無き処、殆ど工夫的の痕跡を留めざる処、意匠は日常の瑣事ながらも豪も陳腐ならざる処、句法亦平易にして切字あるが如く無きが如く、しかも能く切るゝ処、激烈に感情を鼓動する者ならずして、淡白水の如き趣味を寓する処、極端に新体を現したる所以。(正岡子規)

古人の作例に拘泥せず、未開地への展開をこころがけながらも、一方で、碧梧桐には現実を的確にそのままに書き上げる、自動筆記的な作品も多く書かれていたとしなければならない。コトバをしっかと踏まえているのだ。

PageTop

あらすごの熊蜂に追はれ逃にけり

M34

アレーヒデェ!クマに刺されちゃ大変だ。ハチに追われて皆逃げた。
この作品も、単に俗的な一状況を活写したに過ぎないだろう。

隣から薬草呉れぬ蜂の毒(M34)

私はこれら作品を読んだ時、仲間と蜂に刺されたところにションベン掛け合った記憶が甦った。
「明治の新空気を呼吸した声」であり、「古人の作例に拘泥するに及ばぬ」碧梧桐の詩は、ただイキイキとコトバが人々に行きかえるところに求めて、ついに宿命的に走りつづけた生涯であったと思う。
この生き方こそが、詩の根本には貴重―。

PageTop

屯して烟上げゝり菌山

M38

散文としては、

人が屯(たむろ)して火を焚いて煙上げてるここはキノコ山だよ

としておこうか。
この句の場合も、前半の三三七拍子的な一気に読めるリズムが、キノコ山をちょっとした驚きとして提出している。このように形が整って俳句は一つの格調、落ち着いた風貌をも伴うもの。
そして、以降の有季定型(昭和二年)などの、範疇の成立ともいえる。このことが、短詩の大きい視野を失う陥穽とも働いたことを見落としてはならない。
いつも人々は難解なものより、安易に浸りやすいものなのだ。

PageTop

男郎花のみ咲く山と思ひけり

M39

おみなえしは本来、女郎花(オミナエシ科の多年草、秋の七草の一つ)と書くが、碧梧桐は男郎花とも書いていた。この書き方は俳諧時代からあったから、読み方はおみなえしでもおとこえしでもいい。そこには女を獲得したことより、男を獲得したことの意味をこめたかったのである。
前書きに清澄寺とあるから、山はその寺。

 おみなえしが咲いている山
 しかしこの山は
 おみなえし人でなくて
 おとこえし人達のみが
 開花している山と思われた

と読んでいい。江戸時代には、どう読んでもいい多意味性が文化としてあったのだが、以後、コトバを道具としてみる散文化の傾向が顕著になっていくようだ。そのように、時代はコトバを衰弱化させてもいた。
実はここに、後日の碧梧桐のルビ俳詩発祥の基点をみるのである。

PageTop

恋猫や屋根から落ちて湯殿口

M29

五月になると、そこらじゅうでサカリのついた猫がかしましいものだ。屋根や塀や垣根などでのこの盛況をイヤがる人は多いが、うれしがる人もいるか。
湯殿口は銭湯よりも、ちょっとした邸宅の湯殿かも知れない。セックスにしくじった猫が屋根から落ちたのだが、「や」の切れ字が上五なので、湯殿口の地上でしくじった猫のしぐさを想起させる。それはふられた猫への愛着。湯殿口は裸でふれ合う人間の機微さえ物語っているようだ。

PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。