前頭芋

詩人・来空(らいくう)による、リトル・ポエムの世界

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矍鑠(かくしゃく)たる父も在して蚕時

M34

散文にいったん置き換えてみると、

蚕時には矍鑠と父が存在していたね

だろう。別に短詩へ工夫が見当たらない、ともいえようが、やはり注目しなければならないのは、蚕時の何万の蚕が家屋一杯に桑喰む音を轟き渡らせる現実が提示されていたことだ。
そのケンソーの生活があって、はっきりしていなかった父の姿が厳然と見える。
「しゃくしゃくしゃくしゃく」という蚕の音と、父の「かんしゃく」を鳴動する捉え方は、聴覚の人と感心させられる。
上五に「しゃく」という吃音を含むこともリズムとして働き、吃音に対する濁音「時」も末尾で対置して、均衡を保っているのだ。

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春雷やふるふが如き雛の壇

とつぜん落ちる春の雷を「春雷」という。そしてその雷の響きで震えた雛壇があるという、一つの状況―。この句も散文にすると、

春雷か落ちてゆれ動いた雛壇

程度になる。俳句にする時、「や」という切れ字での驚きの提示になったが、どうして直接的な表現でなくアイマイな「如き」を使ったのか?

しゅんらいやふるふがごときひなのだん

五七をアイマイにしながら下五「雛の壇」の発声を強めている、または、三三七拍子的に一気に前半を読ませることで、華麗な雛壇を新鮮に提示する手法。
なお短詩には、吃音も撥音も、リズムの強弱にかかわると知らねばならない。

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門構へ小城下ながら足袋屋かな

M40

小城下という町中にも大きな門構えがあった。それは足袋屋という即景だが、まず上五「門構え」をおいて、どのようなという驚きの提示となっている。語順すなわち論理、リズムさえ論理をもつ関係が示唆されている。
この格調高い論調も、五七五という日本の語の形が芭蕉を継いで、俳句という一つの典型となったことを示していよう。
要するに、碧梧桐の「新傾向」前の「春夏秋冬」「続春夏秋冬」傾向は、俳句が定形という一つの価値なのを示している。
虚子の昭和に入ってからの俳句定型が俳句の基準となったことには、碧梧桐を排除する政策的な、詭弁があったとしなければならない。
当時こうした作風は、碧梧桐系に数多く見出せる。

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金魚飼うて能の太夫の奢りかな

M34

碧梧桐は能を学び実演した人。だから能の太夫をいう時、単にオゴッタ太夫が言いたいのではなくて、能を教えた人にケンランとひらいた演芸の価値をみる視野があった。
そこに飼われている金魚にさえ、ケンランと生きている豪華さを見たのだ。
ここにはコトバ「オゴリ」が能の「興り」としても働くという表現の重層性も認識されていた。

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愕然として昼寝さめたる一人かな

M34

日本にはじまった短い詩は、短いからこそ誰でも書くことが可能な世界であった。実際、どんな辺鄙な場所でも句をひねる人を見る景色があった。
それは世界のどこにも見られない凄い景色だったが、しかしそこで守られた美意識は、普遍的で容易いもの。保守的・自己愛的に許容された世界であったともいえる。
だからハナから「愕然」とする碧梧桐の表現は珍しいものであった。
生き生きと時代にはねかえる実感を乏しくする錯覚もまた、支配的であったとしなければならない。

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桐の木に鳴く鴬も茶山かな

M34

子規は「墨汁一滴」で、

碧梧桐の俳句、一種の新調をなす。「も」の最も用ゐらる。

と、この句をあげている。

晴れた春の日、折しも桐の木に来て鳴く鴬、それもいかにも茶山の景らしく、一点趣を添えて全体が茶山の雰囲気であるといったような句趣であろう。(阿部喜三男)

は、この作品の狙いを充分捉えていよう。

子規がいうとおり、碧梧桐の新調は、この場合の「も」の模倣で、一般俳人まで影響を与えていた。碧梧桐は常に時代をさきがける魅力的存在であった。

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嫁が君枡も設けぬ世なりけり

M36

「嫁が君」は鼠のことで、こまごまと働く奥さんとか嫁さんとかの愛称。
そのこまごました生活にも敬意がこめられていたのだろう。
昔、女性は低い地位にあったという一般論があったが、それは誤っている。本来、日本では江戸時代から嫁が君というコトバがあるように、女性は愛着されていた、というのが日本の現実であった。
この作品の場合は、女性は世の中の規範(枡)をもたない自然そのものと認められておおらかに唱われている。
碧梧桐は虚子とともに酒色遊蕩、花街で遊んでいるが、遊女を通して、むしろ女性が勝っている世界を認めたのではなかったか・・・。

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四頭立て同じ早さに競べけり

M36

碧梧桐は四拍子に気付いて、数字「四」にこだわり、謡を四拍子と断言した作品もあったが、この作品も、四頭立ての馬か牛かは不明だが、競べられている同じ早さに注目している。この作品、

四頭立て同じ早さに
同じ早さに競べけり

と並べて、三三七拍子的に読む時、この二つの説明的なリズムに乗せるか、乗せないかに、和歌俳句の変化があって、末尾「けり」で沈黙を深めることも一つの要点であると見ることができよう。リズムは状況に応じて変化が促される。

日本サッカー監督に就任したオシムが、走るサッカーを提唱したが、コトバも走り続けなければならない。状況を見る(社会を見、地球を見、宇宙を見る)、そして走り続けながらゴール(人間の願望)へ向けて蹴り込むボール(夢)でなければならないとしているのだ。詩の至言でもあった。

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大空を宙に吹き飛ぶ野分かな

M38

大空を宙に飛ぶ野分は、当時誰にも捉えられなかったイメージだろう。碧梧桐は初期評論「俳句につきて」(M36)で、

宇宙の大理想を会得する詩人、最大美を悟る詩人にのみ刹那の感なしといわんや。

と書いているが、結局のところ、行っても行っても各ジャンル・・・短歌、俳句、川柳などの枠組みを設ける必然性がなかった。
最大美を語る刹那の感がある者は、最短詩形追究という人間の純粋さを自己内におく者と考えるほかなかったのだ。
碧梧桐の発言「古人の作倒に拘泥するに及ばぬ」「生気発動してはじめて俳句の天地」なども、大宇宙と対面したことで、振り向かないで行く、自分の道が開けていたに違いない。

野分も単に宙を吹き飛ぶ一風景に他ならない。

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井戸端にキョートと鳴いて鳥交る

M38

現在ではコトバ「井戸端」を一般的な風景ととるかも知れないが、当時の詩歌には乏しく、人が棲んでいる身近さを俗的に示すものであった。そこに「キョート」という鳥の叫びを出すことで驚きを不意におこしたのであった。
かつては、俳諧でタブーとされた、季語、色彩、動詞の重複などを逃げずに、むしろ好んでいた碧梧桐は、従前的(和歌的・俳句的)に定まったコトバやリズムからどう他人を驚かせるかに比重をかけていたのであった。
この「キョート」という鳥の、交尾する叫びが、当時、人を仰天させるものであったに違いない。
昭和二十五年頃読んだ私でさえ、驚いた作品なのだ。

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春風や西鶴が行く女護島

一種の拡散化(散文化)にあった談林の中で芭蕉は韻文化側を選んだといえるが、散文化側、小説に向かった西鶴を碧梧桐は、

「西鶴が行ったのは、女ばかり棲んでいる島(女護島=幻想)。春風が今日も吹いてるわ」

的な感想文。それは批判的といえるけれども、否定的なインパクトではないようだ。女性を憧憬的にみる世界をも許容しながら、自らの態度、生活を見定めようとする自負もあった、としなければ。
むしろ私は、碧梧桐は、生涯、女護島的慈愛を信じ、そしてそこにも守護されてもいたと思える。

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今朝の春筆師の顔は筆に似たり

M38

今朝の春は、今朝迎える新しい春、新年の朝という意に使っている。筆師は筆職人、新年には書き初めをするから、偶然挨拶を交わした新しい筆師の顔が、何となく筆に似ていると思われたのである。軽快明朗、ユーモラスな味のある句となった。(阿部喜三男)

阿部の鑑賞は、つづいて「俳句」はもと「俳諧の発句」で、俳諧は滑稽、諧謔の意が含まれており初発期よりユーモラスな庶民的文芸を含んでいたもの、と説いた。見落としてならないところだ。

筆師の顔が筆に似ているというのが面白い、隠語的できわめて象徴的ともいえよう。私には男性自身もイメージされる。

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菜の花に汐さし上る小川かな

M28

その可愛らしい黄色い花が一面に咲き続いたさまは、ために天地が明るくなったような感じがし、「菜の花あかり」という語もあった。

菜の花や月は東に日は西に 蕪村

この上げ汐の時刻はいつと決めがたいが、海に近い野の小川であろう。上げ汐時の、異様な感もある流れ、菜の花も静かに揺れている。(阿部喜三男)

阿部がこう書き、また続けて、

「この年頃から子規派の俳句も上げ汐、碧梧桐においても然り。」

と書いているとおりに見てよい作品だろう。

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並び居て蛙のやうな顔があり

M39

詩というものがあったとして、それが日本のようにすでに詩形が絶対的なものとされている場所では、素直なあるがままの私小説的な表現が、新鮮な驚きとして見直される関係もあったろう。
この何でもない蛙のような顔、今風にいえばマンガチックなとらえ方が、感覚的には笑いをともなった俗としてあったのだ。
蛙ととらえた人の顔は、この作品以降、短歌、俳句、川柳でも多く見られたが、やはり文体をどう変化させるかの情念の中に胎芽があったことを認識しなければならない。
要は、真似ることではなく夢を希求する情念の問題―。

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流れたる花屋の水の氷りけり

M34

水を常時から豊富にあつかう花屋から水が流れ出て、舗道を氷らしている景色を、直接的に素直に表現している。しかしここにも、碧梧桐の新鮮さがあるだろう。
当時の街路風景を、近代をさきがける構図として捉え、提示しているのだ。
碧梧桐は耳の人であったようにリズムを働かせているが、目の人でもあるようにその視線も有効的でハイカラなのだ。

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五歳児を酒の片荷や山桜

M23

明治23年より「ホックやら何やら分らずかかわった」という碧梧桐にも、全国津々浦々にまで雰囲気的にホックはあった。この句を子規は、

五つ子を酒の片荷や山桜

と添削しているが、てんびんの荷、酒樽の片側に五歳児を見た碧梧桐にはあたらしい感性があったとも…。
詩のコトバは、何よりも時代とつよくかかわるもの。子規時代をこえ、昭和になってからは、五歳児の方が一句の均衡を保っていると思える。

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